一二七四(文永十一)年、流罪を許されて佐渡から鎌倉に戻られた日蓮大聖人は、再度の諫暁によって国を正そうとするも時の執権には受け入れられず、鎌倉を去ることを決意されます。壇越波木井実長公の招きを受けて身延の地を訪問された大聖人は、身延の地を大変気に入られ、この山を釈尊が法華経を説かれた聖地霊鷲山にも例えられ、一二八二(弘安五)年、病気療養の為に常陸の国(現在の茨城県)へと向かわれるまでの九か年をこの地でお過ごしになられました。大聖人は、常陸への途上、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の地で、その波乱に満ちた六十一年のご生涯を終えられますが、弟子たちに、「日蓮が弟子、檀那らはこの山を本として参るべし」とのご遺言をお残しになられました。 それから、七百有余年。身延山は、法華信仰の中心地として、多くの先人により愛され、護られて参りました。そして、今なお、先人の思いは生きつづけ、身延山は四季折々に、さまざまな姿を見せながら、法華経を信仰する人々を見守り続けております。 作者は、1998年頃から、ほぼ毎月、身延山や七面山を歩いています。 この頁では、そんな身延山の四季の写真を綴らせて頂きました。 身延山を歩きながら考えたことや物語など、エッセイや童話も載せています。 |
桜の季節 |
初夏の頃(御入山会) |
お逮夜の万灯 |
紅葉の季節 |
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御廟所ご案内 |
ダイヤモンド富士 |
雨乞いの滝 |
三門から丈六堂まで |
身延山を歩いて登る |
身延山カレンダー |
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