エピローグ



 宿に帰って、父に電話をかけた。
 父は家にいた。
 「どうした?」
 と言った父の声がとても懐かしかった。
 「いや。ちょっと、話がしたくなって。」
 「そうか。」
 「父さん。」
 「ん?」
 「父さん。子どもの頃、いろいろ連れてってくれてありがとう。」
 素直に言えた。
 「ん?うん。」
 父は言った。
 胸がつかえて、何も言えなくなった。
 しばらくの沈黙の後で、父は、
 「今度、また、行こう。」
 と言った。
 「うん。」
 「父さん。会ってほしい人がいるんだ。」
 絞り出すように言うと、父は静かに、
 「結婚するのか?」
 と聞いた。
 「うん。多分。」
 「そうか。一度、連れてきなさい。」
 「うん。」
 受話器を戻したときの、チンという音が、心に響いた。
 今度は、夏美に電話をした。
 まだ、留守電中。

 家についたのは、午後三時。
 ポストを見ると、夏美からの絵はがきが着いていた。
 一昨日の消印。京都からだった。

 もうすぐ帰ります。
 とても会いたい。
        夏美

 僕だってそうさ。
 とても会いたかった。
 部屋に入ると留守電に、夏美からのメッセージがあった。
 「帰ってきたよ。今、とても、あなたに会いたい。」
 たったそれだけの短いメッセージだったが、心が伝わった。
 秋田からの帰り道の途中で、夏美に電話をしなかったことを後悔しながら、あわててダイヤルをプッシュした。
 2コールで出た夏美は、
 「すぐに会いたい。」
 と言い、今からこっちに来ると云って、電話を切った。

 一時間後、二人は、居間のソファーの上にいた。
 彼女は、夢中で、旅の間に考えたことを僕に話した。
 ときどき言葉を探すように黙り込んだり、何度も元に戻って話す彼女の話を、じっと聞いた。
 一通り話し終えると、夏美は、
 「要するに、あなたが、必要なの。あなたと一緒にいたいのよ。」
 と言った。
 彼女の背中に腕を回し、きつく抱きしめてから、熱い口づけをかわした。
 木のことを話そうかと思ったが、やめた。
 それは、あとでいいじゃないか。
 二人には、今、他にやるべきことがある。
 僕は、木を思い浮かべた。
 なだらかな山の頂に立つ、新緑のブナ。
 風にそよぐ梢。穏やかな木漏れ日に照らされた灰色の幹。
 木は微笑んでいるように見えた。
 僕も微笑んだ返した。
 「お前もそう思うだろう?」
 「え?何か言った。」
 夏美が言った。
 「いやなんでもない。」
 もう一度キスをしながら、夏美の体をゆっくりとソファーに沈めた。

おわり

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